【昔語り12】パーソナルロボット TOPOの話(おしまい)
TOPOがアメリカで発売になった1983年頃、日本は「ロボットブーム」でした。これは産業用ロボットとかそういうわけではなく、「エンターティメント」としてのロボットに注目が集まっていたということです。下の写真は以前所有していた、その頃の「ハイテク」ロボットたちです。音声認識ロボット「キクゾー」、オムニボットなどある年齢の方には懐かしいおもちゃだと思います。
マイコン制御が一般化してきたなど、テクニカルなバックグラウンドがあったのは確かですが、ブームの火付け役となったのは「スターウォーズ」で描かれた魅力的なドロイドたちでしょう。僕は当時エンターティンメント業界にいたので、この辺のことはよく覚えてます。オリジナルのロボットキャラクターもいくつか作られました。ニッカウィスキーのCMとか有名でした。
アメリカでも似たような状況で、1984年発売のオムニボットはアメリカのヤッピーによく売れたそうです。のちにアメリカ人と仕事をした際に、意外とオムニボットの知名度が高かったので驚きました。
同じ頃TOPOが発売されたわけですが、調べた範囲では全シリーズ合わせても実販売数が一千台に満たないようで、前に書いたように商品としては大失敗と言えるでしょう。
TOPOを動かしてみた体験から考えると、売れなかった理由の一つは「使うのが大変」だったからではないかと思います。まず、パソコンを用意し、インターフェイスやジョイスティックを接続しなければなりません。さらに動かすにはプログラムすることが必要です。しかもできることは動き回ることと喋ることだけ、頭の押しボタン以外にはセンサもありません。同じようなことができ、パソコン要らずで操作も簡単なオムニボットには勝てなかったのだと思います。
TOPOで遊ぶために必要な「機材」
Androbot社では、このTOPOシリーズはホームロボットの導入部で、本命はB.O.B.というパソコンを使用しない自律型を考えていたようで、TOPOのセールスには力が入ってなかったのかもしれません。また、本格的なセールスを打つには、今回わかった「赤外線通信が蛍光灯からの光ノイズに弱い」という弱点をなんとかする必要があったことは想像に難くありません。これは経年劣化でこうなってるわけではなく、おそらく出荷したばかりのTOPOでも同じだったのだと思われます。しかも通信方式をオシロで調べた限りでは、簡単には解決できなかったろうと思います。
ある意味、曰く付きの商品だったともいえるでしょう。とはいえ(おそらく)世界初のパーソナルロボットとしてTOPOの名は歴史に残ることになりました。黒歴史かもしれませんが。
修理の済んだTOPO IIIは、今リビングでお地蔵様状態となっています。いずれ動態保存に興味のある博物館があれば寄贈したいと考えてます。あるかなあ(笑)