【昔語り4】信越電機商会の頃−2
アキバ昔語り
僕たちの70年代はICとともに訪れました。写真のラジオは1969年後半に発売された、ICを使用した東芝のラジオ、その名もIC-70です。
ヤフオクで懐かしさのあまり落札したジャンク品なので、あまり程度はよくありませんが、スタイリッシュなデザインは伝わりますね。前面パネルはアルミ製、本体下の安定用の足は、戦闘機の可変翼のように、前後連動して引き出すことが出来ます。そしてダイアルの下には、「感度に音質に IC革命」と誇らしげに記したラベルが。当時のICの位置づけがわかりますね。
ただ、アマチュアにはあまりICはなじみが無く、東芝のパワーアンプICを使ったアンプの製作記事くらいがいいとこだったように思います。種類も少なく、入手も難しかったのでしょう。
74シリーズのTTLは、そこそこ流通していて、周波数カウンタや時計を自作するアマチュアもいたようですが、当時の水準としては配線工数が多く、なかなか手の出しにくい分野だったようです。
そんな中、信越電機商会から画期的な商品が発売されます。「時計用LSIのキット」です。
この広告は、1972年12月号のCQ誌に掲載されたものです。TTLで作れば20個近いICが必要になるデジタル時計が、たった一つで出来てしまうのですから、LSIとはすごいなと感心したのを覚えています。
キットという触れ込みですが、良く読むと、LSIと若干の周辺パーツしか入っていないのがおわかりになると思います。表示用のデバイスも入ってません。LEDなりデジトロン(蛍光表示管)なりミニトロン(電球のフィラメントを7セグ表示の形に配置したもの)なりを自分で用意するしかありません。
それでも、手に入りにくいLSIが応用回路例付きで手に入る訳ですから、アマチュアにとってはアリガタイ商品です。
ほどなくして、LEDなどの表示器をセットにしたものの発売も始まりました。これは先の広告の1年後、1973年12月号の広告です。
表示器とのセット販売は、73年の春頃から始まったように思います。LSIはBCD出力付きのMM5311に変更になっています。
ここまで来ると、あとナントカ手に入れなければならない特殊な部品は、2.54ピッチのユニバーサル基板だけです。お金持ちはKELの基板を使えばいいし、僕のようなスカンピンには、2.54ピッチの穴だけが空いたベーク板を使うという手がありました。ランドがありませんが、なに、ICの足に直接電線をハンダ付けすればいいのです。僕は、30Wの半田ごてのコテ先をヤスリで削って尖らせ、これをやってました。同じ足に2本以上の引き出し線をハンダ付けするのは、結構高度なテクニックが必要でしたが。
その頃、日曜にアキバの信越電機に行くと、いつもたくさんの人でごった返して居ました。多忙のため通販を休止することが多く、地方からわざわざ買い物に上京するアマチュアも多かったようです。このような70年代のアマチュアから熱い支持を受け、信越電機商会はユニークなキットを次々に企画し、アキバの名物店になっていったのです。
もう皆さんにはお分かりですね。今日の秋月電子通商の前身が、この信越電機商会です。
今回の元ネタはこちらです。
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