【昔語り5】SC/MP3で見た夢 - 後編
アキバ昔語り
Tiny BASIC内蔵のSC/MP3のデビューは衝撃的でした。しかし、そのセールスは決して芳しいものではなかったようです。アマチュアにとって、その最も大きな要因は「テレビゲームが作れない」コトではないかと思います。
スペースインベーダーの大ヒットを受けて、世はテレビゲームブームの真っ最中。アマチュアがマイコンを作るのは、テレビゲームを作りたいがためと言っても過言ではありませんでした。僕も自作機で最初に作ったアプリケーションは、ブロック崩しでした。もっともそれほどよいゲームプレイヤーではなかったせいか、テレビゲームへの興味は急速に冷めてしまいましたが。
ともあれ、入出力がターミナルでは、インベーダーのようなリアルタイムのテレビゲームは実現できません。これではアマチュアの食指は動かないでしょう。そしてこの「ターミナル」がもう一つの障壁になります。
すでにフルキーボードとビデオRAMのついたマイコンを持っていれば、これにソフトを入れて、ターミナルとして使うことが出来ますが、SC/MP3が最初のマイコンの場合は、このようなビデオターミナルを用意しなければなりません。
これは1977年のI/O誌の広告ですが、結構な金額です。自作することも可能でしたが、「本物」のように画面をスクロールアップさせるためには、マイコン制御の必要があり、アマチュアが作るにはハードルが高いものでした。
そのうえ、SC/MP3が発売になった1979年には、PC8001やMZ-80も20万を下回る価格で発売され、ターミナルを買うお金があれば、立派なBASICパソコンが買えるようになってしまいました。
では、プロ向けの商品としてはどうだったのでしょう。当時の僕の仕事では、ソフトは外注することがほとんどで、Z80などに比べ価格の高いSC/MP3の必要性はほとんど感じませんでした。おそらく、他の会社も同じような状況だったのではないかと思います。開発環境などへの初期投資を抑えて「とりあえず」マイコン応用製品を社内開発できる、というメリットはあったかもしれません。しかし、社内でのソフト開発を根付かせるためには、SC/MPでも、いずれは本格的な開発ツールの導入は必要で、中長期的な視点に立てば、それほどの魅力はなかったのでしょう。
おそらくこのような理由で、Tiny-BASIC内蔵のSC/MP3は、あまり陽の目を見ることなくデスコンになったわけです。その後、インテルの8052に実数型BASICが搭載されたりしましたが、大きなムーブメントになることはありませんでした。
しかし90年代に入ると、パララックスのBASIC-Stampが発売され、プロトタイピングという新しいコンセプトを生み出すことになります。それはまた、別の機会に書きたいと思います。
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