【昔語り9】マイコン雑誌「I/O」の頃(おしまい)
アキバ昔語り。マイコン雑誌「I/O」の最終回です。
ミニコミ誌と聞いて、ああ懐かしいと思う人は、だいぶんお年を召されてるでしょうね。僕も同類です(笑)
70年代初頭、マスコミに相対する言葉として使われ始めた言葉、ある地域に関する話題を集めた発行物といったような位置付けだったと思います。当時僕は中学生、はっきりした記憶はないですが、ぺらぺらでイラストマップがあるもの、というような印象をもってました。イラストマップとは、この喫茶店はいごこちがいいとかいったプチ情報が、ポップなイラストの地図上に描き文字で記載された記事のことです。
こんなものがI/Oの名物記事にもありました。これも同じく1977年4月号からです。
当時の秋葉原でのマイコン関連ショップの地図です。これはこのような記事とセットになっていました。本文中の「信越電機商会」とは今の秋月の前身です。ねんのため。
月刊誌というのんびりした媒体でのお買い得情報がどれほど役に立ったかはわかりません。この記事を見て何かを買いに行った記憶もありません。ただ、地方在住の人にはアキバの空気が感じられる記事だったのではないでしょうか。
もう一つ、ミニコミ誌というより、ミニコミから生まれた商業誌ではおなじみの「はみだし投稿欄」です。紙面の端っこに読者からの短い投稿を載せるあれです。ぴあの「はみだし」といえば分かるかたも多いのでは。
翌年1978年あたりからI/Oにもこんな感じではみだしが載るようになりました。これは1978年11月号からです。
この号ではありませんが、このはみだしで、「中学で同級だった〇〇くん(僕の名前です)、Z80マイコンを作ったけど動かないので教えてもらえませんか?連絡をください」というような投稿を見つけてびっくりしたことがあります。1年間だけ通った東京の中学校の同級生、電話番号が書いてあった(当時はそんなのもありでした)のか、はたまた卒アルで調べたのか覚えていないですが、早速電話してみると、ロジックICを使ってロボットみたいなものを作ってたのを覚えていて、絶対マイコン青年(笑)になってるはず、ということで投稿したとのこと。まさが返事があるとは思ってなかったようで、向こうも驚いていました。三鷹台のアパートまで来てもらって、彼の作った最小構成のZ80マイコンボードを動くようにしました。
I/O黎明期の話はこれでおしまいです。MZ-80やPC-8001が発売になり、本格的なマイコンブームが起こる少し前のお話でした。
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