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アキバ昔語り

懐かしいアキバ系のモノたちが21世紀によみがえる??

2022年6月14日 (火)

【昔語り11】電池で使える真空管

1970年代に入ったばかりの頃、気になる製作記事に出会いました。泉弘志さんの「図解エレクトロニクス製作集」に掲載なったものです。

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真空管の特性を活かした静電気メーターです。興味を持ったのは、真空管式なのに電池で動作しているところです。真空管は電灯線、と、いう固定概念をもっていたので、この電池で動くサブミニ管なるものを是非手に入れてみたい、と思いました。とはいえ、記事にもあるように電池管はその当時でも「昔なつかしい」もので、簡単に手に入りそうになく、また、他にサブミニ管を使った製作記事もなかったので、熱はすぐに冷めてしまいました。

再び電池管に出会ったのは十数年後の1980年代中頃のことです。当時住んでいた国分寺の骨董店で古い真空管ポータブルラジオを衝動買いしてしまいました。

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このセットの電池管はサブミニ管ではなく普通のMT管で、AC-DCの2ウェイで電池駆動も可能なタイプでした。ACで良く鳴りますが、やはり、電池でも鳴らしてみたいわけです。ヒーター用A電池は単一なので問題ないとしても、問題はB電池、BL-145という67.5Vの積層電池が必要、聞いたこともない型番です。とりあえず、ダメ元でアキバで探してみることにしました。

当時、ラジオ会館の向かいからガード下に入る路地の入り口付近に、充電池などの特殊な電池を扱っている店がありました。シーズンになると、クリスマス電球をずらりと並べるような何でも屋で、残念ながら店名は覚えていません。そこをのぞいてみると、なんと、さまざまなB電池が普通に置いてあるではありませんか。お目当てのBL-145は2000円くらいだったかな、結構いい値段でしたが即購入しました。

念願の電池動作というわけですが、鳴らしてみれば普通のラジオで(当たり前ですが)とくに感慨もなく、それ以降、B電池を買うこともありませんでした。

それからさらに40年、再び電池管がマイブームになるのですが、それはまた別の投稿で。

2022年4月28日 (木)

【昔語り10】電子工作の「伝道師」泉弘志さんのこと

アキバ昔語り:

1960年代中頃、当時小学生だった僕は「子供の科学」を毎月買ってもらってました。月1回、父親が仕事帰りに買ってきてくれるのが待ち遠しかったのを覚えています。読み始めたのは小学3年生の時、思えば、これがラジオ工作との出会いでした。

製作記事の中で特に気に入ったのが、軽妙な文体とわかりやすいイラストの1〜2石程度の簡単なラジオ製作記事でした。著者名には「泉弘志」とありましたが、なんと読むかはわかりませんでした。下の誠文堂新光社の「図解1−2石ラジオ製作集」の巻頭記事のスキャンデータをご覧になれば、これか、と思い出す人もいるのではないかと思います。

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この記事は巻頭記事ということで特別に丁寧に書き下ろされたものだと思います。実際の部品を配線図と対比する形に並べたり、注釈にイラストを入れたりと初心者にわかりやすい内容になっているでしょう。また、記事の文体も柔らかく読みやすいですね。泉弘志さんの製作記事は、「子供の科学」「初歩のラジオ」「模型とラジオ(版元は科学教材社)」といった誠文堂新光社系の雑誌に載ってました。

当時は、文章を書いてるのが泉弘志さんで、イラストは別の人が描いてると思ってましたが、60年代末くらいから下記のようにクレジットされるようになり、イラストも泉さんということがハッキリしました。写真は1970年の「模型とラジオ」5月号からです。

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手持ちの古本を確認したところ、この3冊が泉弘志さんの製作集でした。いずれも「初歩のラジオ」「子供の科学」に掲載された記事をまとめた本で、60年代末から70年代中頃に出版されたものです。

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このように数多くの入門者向け記事を書かなければならないとすると、どうしても同じようなコンテンツが多くなってしまうのはやむを得ないでしょう。マンネリを打開するためか、泉弘志さんはいろいろな変わり種セットを考案しています。例えばラジオなら、マッチ箱に組む超小型もの、60年代に流行っていた様々な形のお菓子のプラケース(現在も「チョコベビー」は現役のようです)に組むもの、さらには上の写真にも写ってますがプロペラを選曲つまみにしたヒコーキ型までありました。いずれも少年の工作ゴコロをくすぐるものだったと思います。

その中でこれは、というのが「サンダーバード型 電子おやすみ器」です。これは1968年の「子供の科学」8月号に掲載されました。

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当時人気だったイマイのミニ・サンダーバード2号のプラモデルの中にセットを組み込んでしまうというのは、僕にとっては、いろんな意味で衝撃的なアイデアでした。なんといっても当時はプラモデルだけで立派な遊び道具だったわけで、それを惜しげもなくキャビネットとして使うわけですから、大人の人の考え方はすごいなと変なところで感心したりしました。ちなみに「おやすみ器」というのはポツンポツンという雨垂れのような音を発生する機械で、寝付けないときにそれを聴いているうちに眠ってしまうというものです。実際に効くのかどうかは分かりません。

調べたところによると、泉弘志さんは終戦間もない1948年(昭和23年)、創刊したばかりの「初歩のラジオ」に執筆を始め、1999年の「子供の科学」をもって引退、その後2003年末に76歳で鬼籍に入られたとあります。まさにエレクトロニクス時代と共に生き、そして数多くの子供たちをエレクトロニクスの世界へ導いた「伝道師」といえるでしょう。

最後に、また古本の中から、1949年の「初歩のラジオ」8月号の記事(泉弘志さん19歳!)を紹介しましょう。当時の初ラは、写真の通り、小さく、紙質もよくありません。季節感あふれる表紙絵は、海洋船舶画の名手、飯塚羚児画伯です。

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記事は入門者向け再生検波短波ラジオの作り方です。記事の最後にもありますが、この頃はまだ民放ラジオはなく、短波で聴く外国の放送を楽しんでいた人も多かったようです。面白いのはUY-76という三極管を2本使っているうち、1本をわざわざ二極接続としてB電源の整流用にしていることです。普通なれば12Fなどの整流管を使うところで、同号の他の製作記事ではみんな12Fです。これは、入手しやすいUY-76だけでセットを構成するためだったのではないでしょうか。UY-76は、旧日本軍の無線機に多用されていたので、戦後の一時期、新品も中古も安く流通していたという話をどこかで読んだことがあります。こういうところにも、泉弘志さんのラジオ初心者への配慮を感じます。(前年の10月号にも泉さんの記事はあったのですが、真空管回路の解説で、製作記事ではなかったので、こちらを紹介しておきます。)

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タイトル左のイラストは、タッチが異なるので泉さんの筆になるものではないと思います。編集部が用意したカットでしょう。2枚目の写真の実体配線図を拡大すると、すでに泉さんのお茶目なセンスが発揮されていることがわかると思います。アンテナ線の先っぽに風船がついているのは、この投稿の最初に載せたpdfの4ページにもありますね。

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2022年3月 6日 (日)

【昔語り9】マイコン雑誌「I/O」の頃(おしまい)

アキバ昔語り。マイコン雑誌「I/O」の最終回です。

ミニコミ誌と聞いて、ああ懐かしいと思う人は、だいぶんお年を召されてるでしょうね。僕も同類です(笑)

70年代初頭、マスコミに相対する言葉として使われ始めた言葉、ある地域に関する話題を集めた発行物といったような位置付けだったと思います。当時僕は中学生、はっきりした記憶はないですが、ぺらぺらでイラストマップがあるもの、というような印象をもってました。イラストマップとは、この喫茶店はいごこちがいいとかいったプチ情報が、ポップなイラストの地図上に描き文字で記載された記事のことです。

こんなものがI/Oの名物記事にもありました。これも同じく1977年4月号からです。

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当時の秋葉原でのマイコン関連ショップの地図です。これはこのような記事とセットになっていました。本文中の「信越電機商会」とは今の秋月の前身です。ねんのため。

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月刊誌というのんびりした媒体でのお買い得情報がどれほど役に立ったかはわかりません。この記事を見て何かを買いに行った記憶もありません。ただ、地方在住の人にはアキバの空気が感じられる記事だったのではないでしょうか。

もう一つ、ミニコミ誌というより、ミニコミから生まれた商業誌ではおなじみの「はみだし投稿欄」です。紙面の端っこに読者からの短い投稿を載せるあれです。ぴあの「はみだし」といえば分かるかたも多いのでは。

翌年1978年あたりからI/Oにもこんな感じではみだしが載るようになりました。これは1978年11月号からです。

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この号ではありませんが、このはみだしで、「中学で同級だった〇〇くん(僕の名前です)、Z80マイコンを作ったけど動かないので教えてもらえませんか?連絡をください」というような投稿を見つけてびっくりしたことがあります。1年間だけ通った東京の中学校の同級生、電話番号が書いてあった(当時はそんなのもありでした)のか、はたまた卒アルで調べたのか覚えていないですが、早速電話してみると、ロジックICを使ってロボットみたいなものを作ってたのを覚えていて、絶対マイコン青年(笑)になってるはず、ということで投稿したとのこと。まさが返事があるとは思ってなかったようで、向こうも驚いていました。三鷹台のアパートまで来てもらって、彼の作った最小構成のZ80マイコンボードを動くようにしました。

I/O黎明期の話はこれでおしまいです。MZ-80やPC-8001が発売になり、本格的なマイコンブームが起こる少し前のお話でした。

 

2022年2月24日 (木)

【昔語り9】マイコン雑誌「I/O」の頃(その2)

アキバ昔語り。今回はマイコン雑誌「I/O」の続きです。

前回紹介した1977年4月号の目次です。

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アマチュアにとってマイコンは作る時代ですね。自作マイコンか各社から出ていたTK-80のような評価キットにVRAMを組み合わせ、当時ブームだったTVゲームをしたい、という気持ちが伝わってくるようです。

そのTVゲーム、目次に「GIのTVゲーム」とあるように、TVゲーム専用のチップがでていました。もちろん、まだインベーダーに侵略される前で、素朴なピンポンゲームとかの時代です。ゲームセンターにはブロック崩しや風船割りのような、明らかにコンピュータを使ったものもありましたが、家庭用はそのような専用チップを使っていました。

アキバではGIなどの専用チップを使った、ゲームキットも販売されていたのを覚えています。そういうチップは、トランジスタ数のかさむマイコン方式ではなく、専用回路で起こしたものだったようです。トランジスタ技術などでタイマーIC、NE555と若干のCMOSロジックを使ったTVに表示するオシロスコープの製作記事があったのを覚えています。そんなふうにアナログ/デジタル混在でTV画面上に線を引いたり、光点を動かしたりする回路を作り、それをIC化したものだと思います。

ミュージックシンセサイザの記事も初期のI/Oには多く掲載されました。ここでのシンセサイザは電圧でパラメータを制御できる発振器やフィルタ、アンプなどを組み合わせた「アナログ シンセサイザ」です。当時はシンセサイザといえば、普通の人は冨田勲さんのような多重録音やシーケンサを使った壮大なもの、先進的な人たちはクラフトワークとかのテクノポップという感じでした。YMOでテクノが一般化する前です。

これはその頃発売なったローランドのSYSTEM-100Mというモジュールタイプのシンセサイザです。80年代後半〜90年代くらいはブームの去った商品なので質流店あたりで中古を安く手に入れられたのですが、いまではずいぶん高値になってしまいました。そのころぼちぼちと揃えたものです。整備しながら遊んでますが、なかなか手がかかります。

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I/O誌のシンセサイザ自体の製作記事というのはあまり記憶がなく、シンセサイザとマイコンをつないで自動演奏というのが多かったと思います。まだ「打ち込み」という言葉がない時代でした。(プロの音楽家の間では使われていたようですが)アナログシンセは自作するのも大変で、使い物になるレベルのものはなかなか作れませんでした。僕も1983年くらいに「ムーグのパチモン」のようなモジュールタイプのシンセを作ったことがありますが、VCOの調律に苦労した記憶があります。そういうわけか、これもだんだんAY3-8500というマイコンにつなげるPSGやFM音源などの記事にシフトしていきました。

今回はここまで、次回は「ミニコミ誌」としてのI/Oの話です。

2022年2月16日 (水)

【昔語り9】マイコン雑誌「I/O」の頃(その1)

アキバ昔語り。今回はマイコン雑誌「I/O」の話です。

僕がI/Oを初めて手にしたのは1977年の初夏だったと思います。商業誌として創刊したばかりの頃です。写真の1977年4月号はオークションで手に入れたもの。3月発売だから読んでないはずなんですが、見覚えのある記事もあるので、ひょっとするとバックナンバーを買っていたのかもしれません。

当時はマイコンブームの初めの頃で、大きな本屋だとこういう雑誌のバックナンバーを置いてるところもありました。薄っぺらで300円、分厚いトラ技が380円でしたから、高いなという印象でした。

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ただそれまではトラ技だけが情報源だったので、当時8080のマイコンを自作しようとしてた僕にはありがたい雑誌でした。もっとも毎号買うというわけではなく、興味がある記事のあるときだけでしたが。

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漫画風のイラストも特徴でした。何人かの方が描かれてるようでしたが、一番目立ってたのはコアラ(?)のDANくんでしたね。こんな感じで。

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次回はI/Oの中味についてです。

2022年1月29日 (土)

【昔語り8】科学教材社の0-V-2(おしまい)

アキバ昔語り

完成した0-V-2、色々いじっているとザーザーとかバリバリとかいうノイズが多いのに気づきました。結構なレベルなので入感の弱い局が受信できません。配線をいじったりアースの方法を変えたりいろいろやってみましたが、どうも受信機側の問題ではなさそうでした。また、バンド全体に被っているのではなく、特定の周波数で入ってくるため、発生源は外にある電子機器かなということで、写真のようにノイズフィルタいりのテーブルタップも試してみました。

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しかし、これと言った変化はなく、それではということで、家の中の電気器具のコンセントをかたっぱしから引っこ抜く作戦に。見つかった犯人は写真のようなACアダプターでした。

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これはラジオを設置した部屋のとなりのリビングのコンセント。特に上の秋月で買ったUSBタイプのACアダプタが短波帯にひどいノイズを撒き散らしていました。このノイズが電灯線を通って0-V-2に飛び込んで来てたわけです。もちろんこれは規格をとおった「ちゃんとした」アダプタです。

昔のACアダプタはトランスが入っていたからノイズを出すことはなかったのですが、最近のアダプタはスイッチング電源になっているので、どうしてもこうなるようです。これ以外にもノイズをだしているACアダプタはあるのでしょう。

もう一つのノイズ源は水道のスマートメーターのようです。ラジオバンドの上の方、1500KHzくらいから、パリパリというノイズが入ってきます。AC電源のラジオだけではなく、電池で動いてるトランジスタラジオにも入ります。トランジスタラジオを持ち歩いて発生源を探ったところ、なんと、玄関脇のメーターボックスから出ていました。結構強力だし、この周波数には当地民放ラジオがあり、いいんかいなこれでという気分ですが、スマートメーターのコンセントを引っこ抜くわけにもいかず、結局泣き寝入りということに。PLCでデータを送ってるらしくこれはやむを得ないようです。

また、うちは集合住宅なので、他の居室の影響も受けている疑いがあります。隣の家にコンセント引っこ抜いてというわけにもいかないですからね、

21世紀は素朴な真空管ラジオにとって「生きにくい」時代のようです。

2022年1月24日 (月)

【昔語り8】科学教材社の0-V-2(その2)

アキバ昔語り

上京してアキバデビューしたのは1972年、もうその頃には科学教材社に興味はありませんでした。そのためアキバの傍にあるにも関わらず、若い頃は足が向くことはありませんでした。

ノスタルジーにひかれ、初めて訪問したのは1990年代でした。0-V-2を作ってみたい、コイルはまだ売ってるんだろうか、あわよくばキットが残ってるかもという気持ちで仕事の途中で立ち寄ることに。0-V-2を作りたいんだけど短波帯のコイルはないかと尋ねたところ、ないけれど自作するならボビンは同じだからこれを買って巻き直せと、売れ残りと思しきVHF帯のプラグインコイルを出してくれて、コイルデータの入った製作記事のコピーをもらいました。そのコピーは無くしてしまいましたが、おそらくこの記事のコピーです。ヤフオクで入手した誠文堂新光社の「初歩のアマチュア無線製作読本」の記事です。

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その後仕事も忙しくなり、かなり長い間ほったらかしになっていた0-V-2製作、再スタートしたのはリタイア後、2020年の春先でした。

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ヤフオクやアキバの(旧)内田ラジオあたりで、ぼちぼち集めていた真空管セット用の部品が役に立ちました。

コイルはその時買ったVHFコイルのまき直しではなく、ヤフオクで手に入れた新品プラグインボビンで、中波帯と短波帯5〜15MHzの2本を作りました。シャーシは並四用の穴あきシャーシの新品、他の部品もほとんど新品で調達したものです。並四トランスはガード下のトランス屋さんで、おそらく今でも新品が入手できると思います。並四用穴あきシャーシは1〜2年前まではヤフオクで売っているショップがあったのですが、いまはもうやっていないようです。シャーシパンチやハンドニブラを持ってるので、部品に合わせて一から穴あけも面白そうでしたが。

回路構成は製作記事の通り、CRの値は系列の問題と若干の調整で回路図と違うところもあります。また、6BM8の5極部のグリッド抵抗をボリュームにして音量調整もつけてあります。シンプルなACケーブルは、アキバの電線屋さんにいけばあるのはわかってたのですが、コロナなので買いに行くわけにもいかず、アマゾンで簡単に入手できるテーブルタップをちょん切ってます。

久しぶりの「半田付けを楽しむ」工作で大満足でした。製作当時のローカルラジオ局受信の様子です。

と、まあここまでは順調だったのですが、この先この素朴なラジオは21世紀の洗礼を受けることになります。

 

2022年1月23日 (日)

【昔語り8】科学教材社の0-V-2(その1)

アキバ昔語り

このカテゴリでは主に1970年代半ば以降の話をしていましたが、ここで1960年代まで遡りたいと思います。0-V-2のお話です。(0-V-2については特に説明をしません。わからない方にとっては、そもそもこの話は面白くないと思います。)

そのころ僕は田舎の小学生で「子供の科学」や「模型とラジオ」の愛読者でした。記事はもちろん、巻末に入る科学教材社の広告も子供にとっては楽しみなものでした。1968年ごろ、「子供の科学」でアマチュア無線の入門シリーズが始まるとすっかりやられてしまい、親にねだって短波受信機0-V-2のキットを手に入れました。もちろん通信販売です。紙面で紹介されたこのキットは人気を博したらしく、発注から届くまで1ヶ月以上かかったと思います。父親が市外通話で問い合わせたところ、「大人気でシャーシのメッキが間に合わないので生産が遅れてる」旨の回答があったそうです。

待ちに待ったキットは、ダンボールの箱の中に、細く切ったビニールの切れ端(シュレッダークズのようなもの)がぎっしり入っていて、それに埋もれるように部品が入ってました。大量のビニールクズがクッションの役割をしてたわけです。当時は小荷物の扱いが荒く、荷役時にポンポンと放られることもあったからです。

さて、肝心の組立ですが、小学5年生が初めて組み立てるのは、やはり無理があったようです。一通り組み立ててスイッチを入れると、パチンとヒューズが飛んでしまい、怪しいところを直してはヒューズの取り替えを繰り返しましたが、結局動作させるところまではいきませんでした。このセットは父親の同僚でラジオに詳しい人がすっかり作り直してくれましたが、自分で作ったものでないのであまりうれしくはなかったです。(ゴメンナサイ)

隣家の中学生がアンテナを張ってくれ、運用できるようになりました。ハムの交信を聞いてみたかったのですが、ダイヤルのどの辺が7Mc(メガサイクル)のハムバンドかわからず、結局それらしい電波をキャッチした記憶はありません。測定器がない場合はピーピーという断続音を出している5McのJJYを探して、そこから上に探っていくのがセオリーでしたが、なかなかそう上手くはいきません。その代わり短波通信華やかなころですから、モールスや外国語の放送がダイヤルをちょっと回すとどんどん飛び込んできました。ドッドドドッドドという馬の蹄のような音のする電波がよくキャッチされ、隣家の中学生によるとRTTYだということでした。ピーヒョロというFSK以前のものだと思います。のちにYMOのラィディーンで同じような音が使われててちょっと驚きました。

今回はこの0-V-2を再現してみようという企画です。まずは科学教材社へ足を向けてみましょうか。1960年代末の案内図です。アキバのお隣、御茶ノ水が最寄駅です。

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2015年5月24日 (日)

【昔語り7】コアメモリのメモリイ

アキバ昔語り

60年代の電子計算機と言えば、主記憶装置には「コアメモリ」を使うのが一般的でした。仕組みについては詳しくは説明しませんが、フェライトコアの磁気ヒステリシス特性をうまく使ったもので、高速に読み書きができるため、電子計算機の高速化に大きく貢献した装置です。

70年代に入ってもコアメモリは一線で活躍、アマチュアとしても興味があるものでした。もっとも数千個のコアを駆動するための回路は膨大で、また、高速パルス技術を使うため、調整には最低でも20MHzくらいのオシロスコープなんかが必要で、アマチュア向きではありませんでした。

秋葉原では時々、コアメモリのジャンクが出るときがありました。大げさなモノでは、恒温槽に入った小型冷蔵庫みたいなメモリユニットを見たことがあります。トランジスタやらパルストランスやらがごっそりついていて、買ったとしても手の付けようがなさそうでした。もう少しお手頃のコアだけがついたメモリプレーン一枚というのもあり、1974年くらいに1024ビットのメモリプレーンを買ったことがあります。1000円くらいだったと思います。なんとか使えないかなと色々考えましたが、結局どうにもなりませんでした。

これは最近ヤフオクで手に入れたとてもシンプルなコアメモリプレーンです。

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二系統に分かれていて、都合288bitが記憶できるようになっています。構成から考えて、初期の電卓のレジスタに使われていたのではないかと思われます。コアの大きさは2mmくらいでしょうか。コアを拡大するとこんな風になっています。

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コアに縦横に通っている赤い線がXY軸の駆動ラインで、ナナメに通っている金色の線がセンス線です。1を書き込むには、XY各1本の駆動線に磁気コアが磁化される電流の半分の電流パルスを送ります。マトリックスの交点のコアだけが二つのパルスが重なって、磁化されるだけの磁界を創り出すという訳です。読み出すには同じXY駆動線に逆方向の電流パルスを送れば、反対の極性に磁化されるので、コアに大きな磁界の変化が起り、センス線に電流が発生するという訳です。もちろん、このとき記憶は破壊されますので、読み出し後、すぐに再書き込みする必要があります。

今回はこれを試してみることにしました。実験回路はこんなものです。

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XY駆動線のうち一本だけを使い、押しボタンで方向の異なる電流をながせるようにします。マトリックスで選択するのではなく、一本だけにコアを磁化するのに適当な電流を流す訳です。電流は制限抵抗で調整します。電源は簡単に3Vを乾電池で用意しました。金色のセンス線は10Kくらいの抵抗でターミネートした上で、オシロに入れ、波形を観測します。ただし、この場合はその軸に通っている十数個のコアが同じように反応することになります。従ってセンス電圧はコア1個よりずっと大きくなることが考えられますが、まあ今回は実験なのでこれでよしとします。

回路はブレットボードで簡単に用意しました。

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電流はどれくらい流せばいいのかわかりません。最初は100Ωを入れてみました。電流は30mAくらいです。ボタンを押すたびに100nsくらいの極めて短いパルスが観測されますが、1→0を書き込んでも1→1を書き込んでも、短いパルスの大きさはランダムに変化するだけです。そこで制限抵抗を徐々に小さくしていきました。5Ωにしたときに波形に変化がでました。電流で言うと600mAくらいです。1を書き込んで置いて、0を書き込んだ(コアを読み出した)波形です。

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パルス幅3us、ピーク50mVくらいのはっきりしたパルスが観測されています。コア十数個が反転した電圧なので、コア1個ならもっと小さな電圧になると思います。下は0を書き込んでおいて、0を書き込んだ(コアを読み出した)時の波形ですから、波形が明らかに違うのがわかるでしょう。短いパルスはインダクタで簡単にブロックできるし、読み出し信号のパルス幅がわかっているので、読み出しアンプは現在なら比較的簡単に作れます。

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教科書通りに動作することが確認できて、満足です。でも、これを使ったメモリシステムを作る気にはなりません。288bitのコアをドライブするには、最低でも68個ものトランジスタが必要です。実験だけにとどめて置こうと思います。

2014年9月27日 (土)

【昔語り6】マボロシのIntel4004

アキバ昔語り

Intel4004といえば、このブログを読みにくるような方には、とても有名なマイクロプロセッサでしょう。老婆心ながら解説しますと、これは1971年に発表された世界初のマイクロプロセッサで、電卓などでの使用を想定した4ビットアーキテクチャのものです。

この写真は、僕が持っている4004と汎用メモリとのインターフェイス用のデバイス、4008と4009です。左端の16ピンのパッケージが4004です。

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このブログの趣旨なら、このデバイスを試運転してみる訳ですが… 簡単には動かせないので今回はパスします。

下記は、トラ技の1973年2月号の記事です。上位機種の8008の発売を受けての記事のようです。当時のマイクロコンピュータ事情が読み取れるかと思います。

「ミニコンがICになった1」をダウンロード

「ミニコンがICになった2」をダウンロード

「ミニコンがICになった3」をダウンロード

「ミニコンがICになった4」をダウンロード

これから1年半ほどたった1974年9月号のトラ技には、アマチュア向けTTLマイクロコンピュータATOM-8を開発した富崎新氏の、4004を使った、パネルスイッチからソフト開発が可能なATOM-10の製作記事が掲載され、マイクロコンピュータの使い方がアマチュアにも理解できるようになりました。

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記事には回路図やプログラムの考え方原寸大のプリントパターンも付き、その気になればATOM-10を組み立ててソフト開発が可能なものでした。

しかし、これを作れた人は、あまり居なかったのではないかと思います。それは、4004ファミリーがアキバで売られてなかったからです。

少なくとも当時、キョードーや若松などのICが得意な店でも、店頭で4004を見ることはなかったように思います。もちろん、トラ技の広告ページでも見ることはありませんでした。

もちろん、会社で普通に見積依頼を出せば、買えないことはなかったのでしょうが、アマチュアが簡単に買って試してみるような部品ではなかったのでしょう。僕もどこかで買えないものかと思ってずいぶん探したのですが、見つけられませんでした。もっともサンプル価格も安くはなかったでしょうから、店頭にならんでいても、高校生には気軽に買えるものではなかったのでしょうが。

そんなこんなで、とても有名だけど、アマチュアにとってはマボロシの4004。いつかは動かしてみたいと思っています。